京都大学 歴史研究会 ブログ

京都大学歴史研究会のブログです。 毎週の活動報告なんかをしていきたいと思っています。

NF出展クイズ 解答解説

今回の11月祭で出展したクイズの解答・解説を掲載します。カッコ内の数字は正解者数です。
なお、解説は「続きを読む」をクリックしていただくとご覧になれます。

100の問題
①ネヴィル・チェンバレン(15)
②ゴータマ・シッダッタ/ガウタマ・シッダールタ(30)
③鄭成功(14)
④稲荷山古墳(8)
⑤オクタウィアヌス(9)
⑥ランカスター家とヨーク家(13)
⑦幸徳秋水(4)
⑧金日成(22)
⑨アムンゼン(18)
⑩プレスビテリアン(6)
⑪魚鱗図冊(-)
⑫アヴェロエス(2)
⑬アッピア街道(11)
⑭愚管抄(6)
⑮和気清麻呂(15)
⑯カレー(15)
⑰マクシミリアン(4)
⑱サヴォナローラ(1)
⑲犬上御田鍬(15)
⑳坂上田村麻呂(23)

300の問題
①アラスカ州(12)
②ゾエ・パレオロゴス/ソフィア・パレオローグ(0)
③長州征討(6)
④岩倉具視(5)
⑤楔形文字(1)
⑥谷干城(たにたてき)(4)
⑦楊国忠(2)
⑧アイン・ジャールートの戦い(0)
⑨アンリ・デュナン(10)
⑩スールヤヴァルマン2世(1)
⑪吉田光由(1)
⑫ラヴェンナ(2)
⑬ニコラエ・チャウシェスク(7)
⑭テオドリック/ディートリッヒ(2)
⑮津田三蔵(3)
⑯匈奴・鮮卑・羯・氐・羌(3)
⑰ロムルスとレムス(6)
⑱アレクシオス1世(1)
⑲バルバロッサ作戦(6)
⑳シメオン(0)

500の問題
①楠木正成・結城親光・名和長年・千種忠顕(0)
②サハラントロプス・チャデンシス(2)
③井伊直弼(13)
④隅田川(7)
⑤エサルハドン(0)
⑥カルバラーの悲劇/カルバラーの戦い(0)
⑦ザクセン=コーブルク=ゴータ家(0)
⑧アウレリアヌス(0)
⑨ユリウス・ネポス(0)
⑩尚円(2)
⑪尚真(1)
⑫(アル=)アンダルス(4)
⑬内ヶ島氏(1)
⑭善福院(0)
⑮小弐氏(3)
⑯柴栄(さいえい)(0)
⑰ボードゥアン1世(1)
⑱ハイデラバード王国/ニザーム王国(1)
⑲カロル2世(0)
⑳イブラヒム(1世)(0)

解説
100の問題
①チェンバレンは保守党党首で、ミュンヘン会談においてナチスドイツに対し、ズデーテン地方のドイツ帰属を認めた。
②ゴータマ・シッダッタはパーリ語形、ガウタマ・シッダールタはサンスクリット語形。
③鄭成功は当時台湾を占拠していたオランダを追い出し、その地で独自の政権を打ち立てて清に対抗した。
④埼玉県行田市に存在。ワカタケル大王の名が刻まれたものが出土した他の例としては、熊本県玉名郡和水町にある江田船山古墳の鉄刀がある。
⑤第二回三頭政治はオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスの三人によって行われた。オクタウィアヌスはアントニウスに勝利して初代ローマ皇帝になった。
⑥百年戦争に敗北したイギリスは、王権争いで1455年にバラ戦争に突入した。
⑦幸徳秋水は黒岩涙香が創刊した『万朝報』の記者であり、また足尾銅山事件の際に田中正造が天皇に直訴したときの直訴状は幸徳秋水が起草したものである。
⑧金日成は抗日パルチザンとして活動した後、戦後にはソ連の支援を受けて北朝鮮の指導者となった。
⑨ノルウェーのアムンゼンとイギリスのスコットは南極点到達を争い、アムンゼンが先に到着しスコットは遅れて到着したが帰路死亡した。
⑩カルヴァン派はフランスではユグノー、イングランドではピューリタン、オランダではゴイセンと呼ばれた。
⑪魚鱗図冊は明初に作られた土地台帳で、戸籍台帳の賦役黄冊とともに重要な官簿となった。鱗の様な形状であったことからこう呼ばれた。
⑫イブン=ルシュドはイスラーム哲学者で、イブンは息子の意。
⑬アッピア街道は前312年に作られた最古の軍用道である。
⑭『愚管抄』は神武天皇から順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捉え、末法思想と「道理」の理念とに基づいて述べたもの。
⑮奈良時代末期、称徳天皇は懇意にしていた僧侶の道教に天皇の位を譲ろうとした。大分の宇佐八幡宮に信託を伺いに行った和気清麻呂に皇位を譲るべきではないと回答し、道鏡の野望を打ち砕いた。
⑯イギリスは広大な大陸領土を持っていたが、百年戦争で敗北してそのほとんどを喪失した。
⑰オーストリア大公で、1863年のフランスによるメキシコ占領後メキシコ皇帝となったが、フランス軍撤退後革命軍に銃殺された。
⑱フィレンツェで神権政治を行い、当時のローマ教皇庁の腐敗を糾弾し宗教改革のさきがけとなったサヴォナローラは、芸術作品や装飾品などを贅沢品として集めて焼却する虚栄の焼却を行った。教皇庁に目をつけられたサヴォナローラは、預言者なら火の中を渡っても死なないはずだと言いがかりをつけられて「火の試練」を課されたが、フランチェスコ修道会が取りやめた。
⑲最後の遣隋使は614年、最初の遣唐使は630年に派遣された。
⑳坂上田村麻呂は前任の大伴弟麻呂から征夷大将軍を継いで阿弖流為の討伐を行った。なお、大伴弟麻呂は史料に見える初の征夷大将軍である。

300の問題
①アラスカとハワイは、アメリカ本土の48州の20世紀初頭までに創設されたのに遅れ、1959年、1960年にそれぞれ州に昇格した。
②彼女とイヴァン3世の結婚以降、ロシアは東ローマの後継者を自認するようになる。
③徳川14代将軍家茂は反逆者となった長州藩の征討に出陣した。行列は関が原の合戦に出陣した家康に倣った華麗なものであったが、長州藩相手に苦戦、その最中に大坂で病死した。
④岩倉具視は下級の出身で明治維新で右大臣などの要職を歴任した。1951年に新しく造られた500円札の肖像に選ばれ、1982年の500円硬貨発行まで使われた。
⑤アマルナ文書は新王国時代のエジプトの外交文書で、東寺の国際共通語はアッカド語であったため、楔形文字で書かれている。 
⑥西南戦争において、熊本城攻防戦に大活躍した谷干城は第一次伊藤博文内閣の農商務省に抜擢された。
⑦楊国忠は楊貴妃と曾祖父(別の説では祖父)が同じで又従兄に当たる。
⑧この戦いにより、モンゴル勢力のエジプト侵入は防がれた。またエジプトを中心にマムルーク朝の勢力が確立。
⑨イタリア統一戦争での惨状を見たアンリ=デュナンは、戦争の際の中立的救護組織の必要性を訴え、これが赤十字社成立につながった。
⑩カンボジア王スールヤヴァルマン2世はヒンドゥー教寺院としてアンコールワットを建てた。アンコールワットは後に上座部仏教寺院に転用された。
⑪吉田光由は京都の豪商角倉家の一族。『塵劫記』は絵を多用し、数学入門の模範と評価された。
⑫西ローマ帝国の首都はローマではなく、ミラノ、ついでラヴェンナに置かれた。ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂はビザンティン建築の代表例で、世界遺産となっている。
⑬チャウシェスクは東欧においてソ連から距離を置いた自主的な外交政策を展開し、国際政治の鍵を握る人物の一人として注目されたが、1989年にルーマニア革命によって権力の座を追われ、処刑された。
⑭テオドリックは前493年にオドアケルを破り東ゴート王国を建国した
⑮津田三蔵自身にはロシア皇太子ニコライを殺害する意図は薄かったと言われる。その後児島惟謙が司法の独立を達成したことが有名。
⑯西晋の時代に侵入した五胡は華北に王朝を建て、氐や鮮卑は一時華北を統一した。
⑰ロムルスとレムスは双子で、テヴェレ川のほとりに捨てられたが、狼に育てられた後、ローマを建国したと神話で伝えられている。
⑱アレクシオス1世はローマ教皇ウルバヌス2世に傭兵の提供を要請した。これを受けてウルバヌス2世はクレルモン公会議で十字軍派遣を呼びかけ、これが第1回十字軍となった。
⑲バルバロッサとは、第3次十字軍を率いた神聖ローマ皇帝の異名。
⑳シメオンは古代ユダヤに由来する男性名。原義は「聞く、耳を傾ける」。

500の問題
①「三木一草」とは後醍醐天皇の建武の新政下で寵愛を受けた4人のこと。くすの"き"・ゆう"き"・ほう"き"(名和長年のこと)・ち"ぐさ"で三人の木と一人の草となる。
②チャドの現地語で「生命の希望」という意味のトゥーマイという愛称がある。
③井伊直弼は、幕末の政治家。大老となって独裁体制を築き、開国政策を強力に推し進めた。1963年、放送が開始されたNHK大河ドラマ第1作「花の生涯」の主人公になった。
④松平定信が当時無宿人を収容するために建てた人足寄場は、江戸の隅田川の河口に火付盗賊改の「鬼平」という渾名で知られる長谷川平蔵の尽力の下建設された。
⑤エサルハドンは前671年にエジプトを征服したが、まもなく死去し、一時エジプトは奪還されたが、アッシュール・バニパルが再征服した。
⑥この事件によってウマイヤ朝はアリー家の排除に成功するが、その後の内戦を引き起こしてしまった。この事件が起きた日には、シーア派信徒は追悼の行事を行う。
⑦レオポルドがベルギー独立の際に招かれベルギー王となり、またアルバートがヴィクトリア女王と結婚し、その子孫が英国王位を継ぎ、フェルナンドがマリア2世と結婚してポルトガル王となり、彼の甥フェルディナンドはブルガリア公に招かれ、1908年王を称した。
⑧有能な軍人で、ゲルマン人に対しても勝利している。アウレリアヌス城壁の建設でも有名。
⑨西ローマ最後の皇帝としてロムルス・アウグストゥルスが有名だが、東ローマ側は彼の即位を承認しなかったため、ユリウス・ネポスが東ローマに認められた最後の西ローマ皇帝である。彼は西ローマ滅亡後の480年まで生きた。
⑩尚円王は、幼名を金丸といい、当時の琉球王国の官僚として出世していったが、当時の王尚徳の喜界島遠征等国力を無視した拡大政策に反旗を翻してクーデターを起こして王統を交代した。
⑪尚真王は、第二尚氏王統の中興の王であり、オヤケアカハチという豪族の乱を平定して八重山諸島方面にも領土を拡大している。
⑫イスラーム勢力の領土はレコンキスタの進展とともに狭まったが、それに従ってアンダルスの領域も狭まった。キリスト教諸国の領土をアンダルスと呼ぶ例はほとんど無い。
⑬内ヶ島氏とは飛騨国白川郷の帰雲城に拠った一族。ゲリラ戦を駆使し、戦国時代を生き抜いていたが、豊臣秀吉と講和した際の宴会で一族集合がしていた際に、天正地震によって山崩れが起き、押しつぶされて一族郎党一夜にして滅んだ。
⑭善福院釈迦堂は日本の禅宗様建築の最古の例として知られる国宝で、釈迦如来像を安置するために作られたので釈迦堂と呼ばれた。四隅に火打梁と呼ばれる短めの梁を架けているのが特徴である。
⑮少弐氏は藤原秀郷の子孫と称する武藤資頼が太宰少弐に任命されたことに端を発する一族で、文永の役、弘安の役で活躍し、室町時代には有力守護大名に成長した。
⑯後周の第2代皇帝で初代皇帝郭威の養子である。若くして死に、幼い息子が即位したが、すぐ廃され北宋が建国された。
⑰ラテン帝国は第4回十字軍によってコンスタンティノポリスに成立した国家。ボードゥアン1世はラテン帝国皇帝となったが、間もなくブルガリア帝国との戦いで捕虜となり獄死した。
⑱ムガル帝国の貴族が独立して建てた国。英国とは友好的であった。
⑲カロル2世は多くの醜聞から好色の君主として知られていた。また、独裁的な政治をし枢軸側に接近した。
⑳イブラヒムは狂人皇帝として有名で、他にも1日に24人の女と性行為をする、人々に矢を射かけて楽しむといった奇行が知られている。
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